徒然草 花は盛りに 現代語訳

公開日: 30.01.2020

亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(おほゐがは、オオイガワ)の水をまかせられんとて、大井の土民に 仰せて (おほせて)、水車(みづぐるま)を造らせられけり。多くの銭(あし)を賜ひて(たまひて)、数日(すじつ)に営み出(い)だして、掛けたりけるに、おほかた廻(めぐ)らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、 いたづらに 立てりけり。さて、宇治(うぢ)の里人(さとびと)を召して、 こしらへさせられければ 、 やすらかに 結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み(くみ)入るること、 めでたかりけり 。 万(よろづ)に、その道を知れる者は、 やんごとなき ものなり。. 高名(かうみやう)の木登りと言ひし男、人を掟てて(おきてて)、高き木に 登せて 梢(こずゑ)を切らせしに、 いと 危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「 かばかり になりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ち(あやまち)は、安き(やすき)ところになりて、必ず 仕まつる(つかまつる) ことに候ふ。」 と言ふ。 あやしき 下臈(げらふ)なれども、聖人(せいじん)の戒めに かなへり 。鞠(まり)も、難きところを蹴(け)いだしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。.

どんなことも、(盛りよりも)始めと終わりにこそ趣がある。 男女の恋愛 も、(はたして) ひたすら 逢って契りを結ぶのを(「恋」と) 言うのだろうか。(いや、そうではない。)   会わないで終わってしまったつらさを思い、(約束の果たされなかった) はかない 約束を 嘆き 、長い夜を一人で明かし、遠い大空の下にいる 恋人 を思いうかべて、茅が茂る荒れはてた住まいで昔(の恋人)をしみじみと思うことこそ、 恋の情趣を理解している のだろう。.

なにとなくあおいかけわたしてなまめかしきに、あけはなれぬほど、しのびてよするくるまどものゆかしきを、それか、かれかなどおもいよすれば、うしかい・しもべなどのみしれるもあり。おかしくも、きらきらしくも、さまざまにいき かう、みるもつれづれならず。くるるほどには、たてならべつるくるまども、ところなくなみいつるひとも、いずかたへかいきつらん、ほどなくまれになりて、くるまどものろうがわしさもすみぬれば、すだれ・たたみもとりはらい、めのまえにさびしげになりゆくこそ、よのためしもおもいしられて、あ われなれ。おおじみたるこそ、まつりみたるにてはあれ。. 椎柴 ・白樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ: <しいしば・しらがし・・>。椎や樫の林のように照葉のきらきら光るのこそ。. すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨 ねや のうちながらも思へるこそ、いと たのもしう 、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも なほざり なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせず まもりて 、酒のみ、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。.

ねぢより : にじり寄って、。. あからめ もせずまもりて: 脇目もふらずに見守って、。. 静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞ、せん方(かた)なき。 人静まりて後(のち)、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなる ぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変はらず久しき、いとかなし。.

  • 高名(かうみやう)の木登りと言ひし男、人を掟てて(おきてて)、高き木に 登せて 梢(こずゑ)を切らせしに、 いと 危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「 かばかり になりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ち(あやまち)は、安き(やすき)ところになりて、必ず 仕まつる(つかまつる) ことに候ふ。」 と言ふ。 あやしき 下臈(げらふ)なれども、聖人(せいじん)の戒めに かなへり 。鞠(まり)も、難きところを蹴(け)いだしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。.
  • 望月の隈(くま)なきを、千里の外まで眺めたる(ながめたる)よりも、暁近くなりて待ち出で(いで)たるが、いと 心深う 、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の 影 、 うちしぐれたる むら雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかば)などの、ぬれたるやうなる葉の上に きらめきたる こそ、身にしみて、 心あらむ友もがな と、都恋しうおぼゆれ。.

『徒然草』花は盛りに の原文

とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取りて、扇(おふぎ)・小箱など懐(ひところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。 希有に して助かりたるさまにて、這ふ這ふ(はふはふ)家に入りけり。. 見事 いと遅し: 祭りの行列が来ないというので、。. 月・花 をば、さのみ目にて見るものかは: 月や花は、ただ目で見なければというものでもないのではないか。. あからめ もせずまもりて: 脇目もふらずに見守って、。.

よろずのことも、はじめ・おわりこそおかしけれ。おとこおんなのなさけも、ひとへにあいみるをばいうものかは。あわでやみにしうさをおもい、あだなるちぎりをかこち、ながきよるをひとりあかし、とおきくもいをおもいやり、あさじがやどにむかしをしのぶこそ、いろこのむとはいわめ。もちづきのくまなきをちさとのほかまでながめたるよりも、あかつきちかくなりてまちいでたるが、いとこころぶこうあおみたるようにて、ふかきやまのすぎのこずえにみえたる、このまのかげ、うちしぐれたるむら ぐもがくれのほど、またなくあわれなり。しいしば・しらかしなどの、ぬれたるようなるはのうえにきらめきたるこそ、みにしみて、こころあらんとももがなと、みやここいし ゅうおぼゆれ。.

第百三十七段 花はさかりに

丹波に出雲といふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、 めでたく 造れり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋のころ、聖海上人(しやうかいしやうにん)、その他も人あまた誘ひて、「いざ給へ(たまへ)、出雲拝みに。掻餅(かいもちひ)召させん。」とて具しもて行きたるに、おのおの拝みて、 ゆゆしく 信おこしたり。. 出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』. ヘルプ ヘルプ 寄付.

「徒然草:花は盛りに」の現代語訳

無常の敵 競ひ来らざらんや: 「無情の敵」とは死のこと。死が急に到来する。. すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨 ねや のうちながらも思へるこそ、いと たのもしう 、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも なほざり なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせず まもりて 、酒のみ、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。.

棺 を鬻く者: <ひつぎをひさくもの>と読む。死棺を売る者。. よろづのことも、始め終はりこそ をかし けれ。 男女(をとこをんな)の情け も、 ひとへに 逢ひ(あひ、アイ)見る をば 言ふものかは 。逢はで(あはで)止み(やみ)にし憂さを思ひ、 あだなる 契りを かこち 、長き夜をひとり明かし、 遠き雲井 を思ひやり、 浅茅(あさぢ)が宿 に昔を しのぶ こそ、 色好む とはいはめ。.

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徒然草 第137段 花は盛りに 現代仮名遣い

丹波の国に出雲という所がある。出雲大社(の神霊)を移して、 立派に 造ってある。しだの何とかと言う人の治めている所なので、秋の頃に、(しだの何とかが誘って)聖海上人や、その他の人たちも大勢誘って、「さあ、行きましょう。出雲の神社を参拝に。ぼた餅をごちそうしましょう。」と言って(一行を)連れて行って、皆がそれぞれ拝んで、たいそう信仰心を起こした。 社殿の御前にある獅子と狛犬が、背中合わせに向いていて、後ろ向きに立っていたので、上人は(早合点して)とても感動して、「ああ、すばらしい。この獅子の立ち方は、とても珍しい。(きっと)深い理由があるのだろう。」と涙ぐんで、 「なんと、皆さん。この素晴らしいことをご覧になって、気にならないのですか。(そうだとしたら)ひどすぎます。」と言ったので、皆もそれぞれ不思議がって、「本当に他とは違っているなあ。都への土産話として話そう。」などと言い、上人は、さらに(いわれを)知りたがって、 年配で 物をわきまえていそうな顔をしている神官を呼んで、(上人は尋ね)「この神社の獅子の立てられ方、きっといわれのある事なのでしょう。ちょっと承り たい 。(=お聞きしたい)」と言いなさったので、(神官は)「そのことでございすか。 いたずらな 子供たちの したこと です、けしからぬことです。」と言って、(像に)近寄って置き直して、行ってしまったので、上人の感涙は 無駄に なってしまった。.

総じて、月や(桜の)花を、そのように目でばかり見るものだろうか。(いや、そうではない。) 春は(べつに、桜の花見のために)家から外に出なくても、月の夜は寝室の中にいるままでも、(桜や月を)思っていることこそ、たいへん期待ができて、趣深いことである。 情趣のある人は、むやみに好みにふけっている様子にも見えず、楽しむ様子も あっさり している。(無教養な)片田舎の人にかぎって、しつこく、なんでも(直接的に)楽しむ。 (たとえば春の)花の下では、寄って近づきよそ見もしないで じっと見つめて 、酒を飲んで連歌して、しまいには大きな枝を思慮分別なく折り取ってしまう。 (夏には、田舎者は)泉に手足をつけて(楽しみ)、(冬には)雪には下りたって足跡をつけるなどして、どんなものも、離れたままで見ることが(田舎者には)ない。.

望月の隈(くま)なきを、千里の外まで眺めたる(ながめたる)よりも、暁近くなりて待ち出で(いで)たるが、いと 心深う 、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の 影 、 うちしぐれたる むら雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかば)などの、ぬれたるやうなる葉の上に きらめきたる こそ、身にしみて、 心あらむ友もがな と、都恋しうおぼゆれ。.

知っておきたい:

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  1. 表示 閲覧 編集 履歴表示. 有名な木登り(の名人だ、)と(世間が)言う男が、人を指図して、高い木に登らせて梢を切らせる時に、とても危険に見えるときには(注意を)言わないで、下りようとする時に、軒の高さほどになってから、「失敗をするな。注意して降りろ。」と言葉をかけましたので、(私は不思議に思って、わけを尋ねたました。そして私は言った。)「 これくらい になっては、飛び降りても下りられるだろう。どうして、このように言うのか。」と申しましたところ、(木登りの名人は答えた、)「そのことでございます(か)。(高い所で)目がくらくらして、枝が危ないくらいの(高さの)時は、本人(=登ってる人)が怖い(こわい)と思い(用心し)ますので、(注意を)申しません。過ちは安心できそうなところになって(こそ)、きっと、いたすものでございます。」と言う。.
  2. ねぢより : にじり寄って、。. 御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あな めでたや 。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん。」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下(むげ)なり。」と言へば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん。」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、 おとなし く、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、さだめて習ひある事に侍らん。ちと承ら ばや 。」と言はれければ、「そのことに候ふ(さふらふ)。 さがなき 童(わらはべ)どもの 仕り(つかまつり)ける 、奇怪に候うことなり。」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往に(いに)ければ、上人の感涙 いたづらに なりにけり。.

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